『数字というお金は人格である』について(前編)

みなさま如何お過ごしでしょうか?

 

梅雨明けが遅かった分、今年はもう夏休みが近くなりましたね。毎日暑い日が続いていますが、熱中症にはご注意ください。

 

今月は、ある方から聞いた話です。

 

『数字というお金は人格である』そうです。なるほどその通りですね。

 

日本人の場合は、武士道の精神でしょうか?侍の精神の関係でしょうか?人前でお金の話をすることは、禁句みたいな慣習があります。『武士は食わねど高楊枝』ではありませんが・・・・・。家庭においても学校でも金銭教育というのは、いま現在含めて皆無に近い状態ではなでしょうか?

 

本来学習とは、何のために行うのか?この問いに対する解答が、曖昧なような気がします。

 

したがって、金銭教育というものが、ないのかもしれません。本来学習というものは、人間として正しく生きていく為に必要な一般教養やその人に応じた専門的な事を学ぶ機会の事です。

 

そのように考えると一般教養の中にキッザニアみたいな仕事とお金という様な学習が、あっても良いのではないでしょうか?

 

これは税務だけではなく会計業界で仕事をしていて、金銭にまつわる法律的な仕事をしていると余計に感じます。従業員さんのカード破産の相談や会社の決算をしているからでしょう。仕事の関係上『数字というお金は人格である』という事が、真実であると思えてくるという訳です。お金が、一杯あるとかないとかの問題を言っているのではないという事です。

 

(次回に続く)

 

大成経営コンサルティンググループ 代表取締役会議長兼社長 石本義弘

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